砂流の日記帳

何となく…

北も南も…

大きな地震が…



青森方面で昨夜、大きな地震がありました。北海道の登別の方に知人がいて、心配でしたが、すぐに連絡するより、津波の心配があったので朝になってLINEを入れましたが、やはり高台に一度避難したけれど、何事もなかったようで一安心。

まだ、三陸地震同様の危険があるそうなので、このまま何ごともありませんよう。

宮古島の方でも地震があったようですが、沖縄の母、妹、大丈夫だよね。北に比べると小さな地震だったようなので。

夜中に地震があると心配ではあるけれど、無事の確認はこちらから入れるの、ためらいますね。

このところ、体調不良で日曜日に生徒と公園で鉄棒&パルクールしてきたんですが、やばい!さかあがりが厳しい!!うん、体調不良だから…てか、老化が進行中(^^;)

辰巳正月(巳正月)ってご存知ですか?

「巳正月(みしょうがつ)」って方が、こちらでは一般的ですが、南北朝時代、1336年に南朝新田義貞の敗走に伴い愛媛より出兵した兵士が滋賀県の木の芽峠付近で吹雪に遭遇。多くの兵士が凍死しその知らせが新暦で12月の巳の日、巳の刻訃報が届き、正月を迎えられなかった兵士たちの無念を慰め、慰霊儀式だそうです。

他にもいろいろ説があるのですが、四国地方、特に私の住む愛媛県東予地方に古くから伝わる行事で、その年に不幸のあった家で、12月の巳の日前後に、餅をつき、通常とは逆に巻いたしめ縄を持って墓参りに行き、墓前でその餅をわらを燃やしてあぶり、無言でちぎって竹の先に刺して食べるそうです。

喋っては行けないのは、敵に悟られないためで、竹に刺すのは竹を刀にみたて、敵を忘れないことを意味するそうです。

私も知らず、おふくろから聞いて、今年の12月に3度、巳の日があるので、最後の25、26日に仕事が終わってやってみるつもりです。

昨日は、妻の月命日でした。墓参りと掃除をし、今日は妻が好きだった市民吹奏楽団の定期演奏会へ。この後、子供たち、義妹も来れたらオンラインで集まり、妻の追悼の予定です。

定期演奏会は、家族以外で唯一来てくれてたtuba担当のY君、しっかり演奏してましたよ。仲がよかった叔母が生きている間にしっかりと団長を務めた親孝行な従弟です。あと、現団長の奥さんは高校の同級生だったりします(フルート担当)(^^)

明日は妻の月命日

先の百箇日には子どもたち、義妹とオンラインで集い、いろいろと話した。1周忌まではこうした集いを…と思っていたのだけれど、なかなか皆の都合があわず、さてどうなるか。

そもそも、妻は自分のために人に迷惑をかけるのが嫌い、そんな優しい人間性の持ち主だったから、きっと忙しかったり、用事がある中で自分のために時間を割くことは望まないだろう。

それぞれの時間がある時に偲んでくれた方が喜ぶだろう…そんなふうにも思っている。

とりあえず、明日は妻の好きだった花を買って墓に行こう。

大好きだった、LUNK HEADの音楽を流しながら、墓の前でみんな元気でいることを報告し、少しでも話そう。

 

そして、翌日は妻宛に届いている「新居浜市吹奏楽団」の定期演奏会に妻の写真と一緒に聴きに行こう。

自分は音痴ということもあり、音楽には縁があまりないのだけれど、妻は音楽が大好きで、その影響か子どもたちは3人とも合唱をやっていた。きっと天国で吹奏楽の音に拍子をとっているはず(^^)

連休、いかがお過ごしですか?

連休前の夕方、きれいな夕焼けに思わず撮影。雲の間から、夕日が見えて(画像はタイミングを逃した)妻がいる世界を見せてくれたような気がしました。

動かなくなったバイクは結局手放し、バイクをいじるのが好きな少年に捨て値で譲り、名義変更は、私が市役所で手続き。それから、弟のおさがり(笑)の軽四の名義変更と税止め申請。

ずいぶん名義変更関連に詳しくなりました。これも、仕事がパートに代わり時間に余裕ができたおかげ。ちなみに税止めは譲ってもらった弟の方に税金がかからないようにするためで、熊本県の某市役所に問い合わせてファックスで手続きができましたが、車自体の名義変更は県内の自動車協会へ。

ちょうど、おふくろと姪が東京へ行くため、平日の休みをとって出かけてきました。神奈川県に住む長男がおふくろを招待してくれたんですが、何しろ飛行機に乗ったことのないおふくろ、姪が付き添いで熊本から出てきてくれ、長男・姪には感謝しかありません。

画像がその車ですが、姪がその時に大阪までおふくろを遊びに連れて行ってくれ、車は弟夫妻が持ってきてくれました。

連休は松山空港までの送迎、墓参り、バスポンプの修理でゆったりと過ごしました。ちなみに画像の寺は、それこそ名もないような寺なんですが、暇だったので子どもの頃に除夜の鐘をつきに連れて行ってもらった母方の祖父の菩提寺で、めっちゃ田舎ですが、座禅や寺ヨガをやっているようでした。

連休というと、その前から慌ただしくも休みであることが嬉しい日々でしたが、一人になった今は、妻が生きていればどこへ行ったろうと寂しくもあり、それほど休みであることが嬉しくもないような日常になりました。

 

昭和の時代の子供ですが?

みなさんは、これは何て言います?

私は、魔法瓶ですが、何で「魔法」なんだろうね?

最近は「瓶」という容器も減ってるんじゃないかな?

 

ちなみに子どもの頃の水筒と言えば

こんな感じが一般的な子どもの水筒だったと思う。

いつ頃からか、熱中症予防?も兼ねて学校に水筒を持って行くのが当たり前になってるし、うちのクラブでも保温式の水筒持参が当たり前になってます。

小学校は、給食だったんで、弁当箱は遠足などの行事がある時くらいしか使わなかったけど、ブリキに流行りのアニメのイラストがプリントされた弁当箱だった。

中学・高校は弁当で、朝早くからおふくろが作ってくれてたけど、さすがにアニメのプリントはなく、無地の弁当箱だったなー。

でもって、学校の購買部や学食の寿司(チラシ)なんかは早い者勝ちで弁当がない時は授業が終わると速攻で買いに行ってた。

 

今は、コンビニで弁当もお茶も買える時代だよね。

死後の世界、あると思いますか?

私は元々、仏教にせよ神道にせよ、キリスト教ヒンズー教、あらゆる宗教は信じていません。
 
でも、死ぬと「無」になるっていうのも寂しすぎるし、毎日、朝と夜には般若心経と十三仏真言、光明真言を唱えて、妻に届くといいなと、自分の心を癒すために手をあわせています。
 そのせいでもないでしょうけれど、以前、通ってくれていた子たちが訪ねてきてくれたり、新たに高専の男の子が練習に参加してくれたり、隣町の日本語ボランティアに招かれたりと、まるで妻が「私の代わりに」と言っているかのように、交流が増えました。
祭壇には、義妹のローソク、同級生からもらった線香に加えて息子が、火を心配せずに使えるから、とローソク代わりになる照明を送ってくれ、お供えさせてもらっています。
死後の世界、あるかどうかわからないけど、あったらいいね。

妻の祭壇を飾ってみた

自室の妻の祭壇(仏壇は別にあります)、飾ってみました。

百箇日が過ぎ、少しは悲しみ・メンタルが落ち着くかと思っていましたが、いまだにことあるごとに思い出しては悲嘆の中を過ごしています。

昨日、近所の保育園であったバザーに出向き買ってきた花を飾ってみました。妻が一緒に行っていれば、あれやこれや買っただろうなと、また少し心が痛みます。

明るく過ごしてあげることが妻への何よりの供養…そんなふうにネットでは書かれてたり、動画にしてたりするけれど、なかなかねー。それだけ、妻のことを愛してたってことだから、百箇日を過ぎてもまだしばらくはこのままで…